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16 Sep 2008   06:49:38 pm
Reminiscences-3
保育園の思い出と言えば登園拒否、無断帰宅などネガティーブなことが多い。
今から半世紀も前の事だ。約2年間くらい保育園に通わされたらしい。

記憶を辿れば、朝から陽の落ちるまで自然のなかで自由奔放に遊んでいた
幼児が、突然「さあ、みんなで、、、しよう!」の世界に放り込まれて、
始終「それをしちゃダメ!」、「これをしちゃダメ!」、、、何をやっても注意ばかりされていた。
楽しかった記憶はあまりない。チャンスあらばその場から逃げ出そうといつも思っていた。

そんな監獄?のような環境の中でたった一つ僕の大好きな時間があった。
昼寝の時間だ!それは実に不思議な時間空間だった。
その時眠っていたかどうかさだかではないが、今も鮮明に記憶に残っているのは
昼寝の時間帯は必ずある曲が心地よい音量で流されていたことだ。
その曲は毎日同じだった!その曲がサン=サーンスの組曲<動物の謝肉祭>の「白鳥」だと
知ったのは中学生になってからのことだった。

もちろんその時そんなに幼い子が曲名なんか知る由もなく、知る必要もなかった。
心地よいメロディーに酔いしれて、、、いつの間にか癒しの夢の中であった。
心が美しい何かに洗われるような、気持ちいい時間空間だった。
その時自分で心の中で描いていたのは何かが静かな水面を流れるように移動している
、、、そんな風景だったので、、、後で曲名を知って膝を叩いて納得した記憶がある。

この保育園の昼寝の時の体験だけは今思い出しても心が温まる。
いわゆる情操教育だった訳だ。
その後の僕の人生にやすらぎを与える源泉としてのクラッシック音楽は
心の栄養補給源として今でも日常生活の大切な要素なっている。
 
今はジャズを日常的に環境音楽として流してはいるが、なぜかクラッシック音楽を
ジャズ風にアレンジしたものを聞くとふと幼い頃のことを思い出す。
European Jazz Trioはそんなクラッシック音楽の世界をさり気無く
演奏してくれる僕お気に入りのジャズ-バンドだ。

それにしてもその当時、周りには自然しかない山村の小さな保育園が
クラッシク音楽を耳にする機会を園児に与えるなんて実に粋な計らいだ。
今でも心から感謝している。

Listening to classical music is nourishment for the soul.
17 Jul 2008   02:34:18 am
Reminiscences-2
それは今から半世紀近く前の話になる。
ずいぶん昔のことだがその様子は走馬灯のように心に浮かぶ。

小学校4年生の頃、学校から家に帰るとなぜかそこには
近所の若いお姉さん達が5,6人、多いときは10人位座敷と
中の間の二部屋で和裁をしているのだった。

そして母をみんなが「先生、先生」と呼んでいた。
幼心に自分の母親が先生とは、、、?と不思議に思っていた。

母は結婚前の若き乙女達に和裁を教えていたのだ。
時々、お花や料理も教えていたらしい。
その時の様子はお姉さん達の笑顔と優しい声、
花の色彩と料理の匂いで僕の記憶が蘇る。

そのお姉さん達に学校から帰って「こんにちは!」と挨拶するのが
なんとも恥ずかしかったことか!みんなそろって明るい声で
「こんにちは、お帰り!」と言われた僕はなぜか無性に嬉しかった!
下を向きながら和裁を楽しそうにしていたお姉さん方の
やさしい笑顔が印象的だった。

そんな和裁教室みたいなことを母は随分長いことやっていた。
母が育った家は小さな町の唯一の旅館だった。
母の母親は2月に母を産んで、8月に亡くなり、
母は零歳でその旅館の女将(母の伯母)の養女になったと聞いている。
幼いころから掃除や料理、和裁、刺繍等々随分叩き込まれたらしい。

大きな刺繍の作品がその旅館の上等な客室の壁に掛かっていたことは
知ってたが、それが母の作品だと知らされたのは僕が成人になってからだった。
あらためてその作品を見たときその出来映えの素晴らしさにびっくりした。
残念なことにその作品は未だ行方不明だ。

僕がアメリカ留学から帰国して寺子屋式英語塾を始めた動機の中に
ひょっとしたら母の和裁教室のことが原体験として存在したのかもしれない。

工夫して学び、試行錯誤を繰り返し、研究し、その腕を磨く!
そして次の世代にその技を伝授して行く!
生徒達と血の通った授業!心温まる、和気藹々とした雰囲気の教室!

僕は母と同じ経験を英語教室というかたちで再現して来たようだ。
そのことを思うと小学校しか出ていない母が自ら習得した技で
懸命に人助けをしていたことに大いに共感するところがある。

子供は生来素直なものだと思う!
その時々の出来事を脳裏に一瞬にして刷り込んでしまう!
身近にいる大人の後姿を見ながら驚異的に学びながら成長していくものだ!

30年以上も十代の子供達を預かって見ての感想は
子供達の成長パワー、学習パワーの素晴らしさだ!
大人はそんな子供達のサポーターであるべきだ。


Honesty is the best policy, I firmly believe.
14 Jun 2008   02:54:28 am
Reminiscences-1
人生は出会いの連続だと思う。

それが人間であれ、動物であれ、植物であれ、ものであれ、出来事であれ、
僕はその出会いが嬉しくて堪らない!

幼い頃は臆病で、内向的だった僕にとって心の中に無限に広がる
宇宙の中を、誰にも、何事にも束縛されることなく遊泳するのが
唯一の至福の時だった。

保育園に行くのも、小学校に通うのも、幼いなりにある種の苦痛を感じていた。
登園拒否、登校拒否を繰り返したていたようだ。
ただ保育園や学校までの行き帰りの自然との出会いが楽しみだった。
花も、雑草も、石ころも、虫も、鳥も何もかも僕の友達だと思い込んでいた。

学校では学業的には劣等生だった。優越感を抱けたのは小学4年生の頃、
父の手ほどきで始めた野球の世界だけだった。
しかし、野球の技の面で卓越していても、学業が不出来だと、
その技も高い評価を得ることなく自己満足で終わっていた。

そんな数ある出会い中でローマ字(英語)との出会いは実にダイナミックかつ、
この上なくロマンチックだった。

この世の中に、ひらがなでもなく、カタカナでもなく、
漢字でもない文字があることを知ったのは小学校5年生の頃だと思う。

それはローマ字というものだった。担任の先生曰く、このローマ字でどんな日本語も
書き表せるというのだ!!!僕はビックリした!
漢字を憶えるのが大の苦手だった僕は内心にゃっとして、小躍りして喜んだ!

ローマ字に夢中になっている僕を見て、父は1メートル四方もある模造紙に
五十音表をローマ字で書いてくれた。感激した!無我夢中で憶えた!

ある日、いとこの姉が僕の家に遊びに来た。僕のローマ字練習帳を見て、
何も言わずに僕の目の前でスラスラと流線型のそれまで見たこともない
美的な文字をノートの表紙に書いてくれた。それは美しい芸術作品のように
僕の脳裏に映り、刷り込まれた。ある種の快感を覚えた。

それが筆記体のローマ字であると従姉は得意げに教えてくれた。

その日から僕はこの流線型の格好いいローマ字のとりこになった。

10歳の田舎の知的に無知な餓鬼が
人生の出会いで最初に知的に感動した瞬間である。
そして、「この世の中には僕の知らない、まったく別の不思議な世界があるんだ!」と
昼は山村の狭い青空をじーっと見つめながら、夜は満天の輝く星を見ながら思った。

僕の好奇心がこのローマ字とともに無限に広がっていく気配を感じた。

Curiosity knows no bounds.
The sky is the limit.
 
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